2008年2月24日 (日) 絵本のことをつらつらと

2021年10月9日

「絵本を描こう」と思ったのはもうずっと昔の話、それこそ僕が子供の頃。その時の僕は「なんで流れ星は流れるんやろか?」「夢のストーリーは誰が考えてるんやろか?」そんなことばかり考えていて、それを絵本に求めたんだけど、その答えとなる絵本がなくて・・「じゃあ、自分で描こう」と思うも上手くストーリーが考えられず、そのまま僕はお笑い芸人になって、それでもどこかに絵本のつっかかりがずっと残っていたんだ。そして今から3年前だったか4年前だったか、いつかは忘れたけど、「よし、描こう」と袖をまくった。

子供の頃からずっと不思議に思っていたこと。「僕は眠ると夢を見るけど、夢のストーリーは自分の意思とは関係なく出来上がっていて、そんな夢をもう何百種類と見てきた。子供の僕にこんなに何百種類ものストーリーが書けるわけがない」

だから今描いているのは、世界の奥の奥の奥に世界中の人々が見る夢の脚本を書く大忙しの脚本家さんの、「夢作家さん」のお話。これが子供の頃の僕への答え。そしてその夢作家さんにまつわるストーリーを4部構成で作り上げようと思った。

ストーリーを書くのに何ヶ月か費やして、それから絵にとりかかった。最初の1ページを書くのに1ヶ月かかってしまったもんだから、ペースを上げた。2ページ目を描き終えた時に、今回のコレは相当やっかいな仕事になる事は容易に想像できた。

絵本制作が始まって1年、絵を描きだしてから数ヶ月経った頃、僕の描いた『音楽戦士』の舞台セットを観たらしく、「お前は絵を描きなさい」と言ってきたのがタモリさん。「実は今、絵本を描いているんですよ」と絵を見せて、二人でベロベロに酔っ払いながら何時間も今回の絵本の話をした。事実、第2部のお話の街並みなんかはかなりタモリさんのアドバイスを受けた景色となっている。それから二人で呑む時はいつも絵本の話となった。

そして絵本制作が2年は経とうかとした頃だtぅたか、「出版社はどうする?」マネージャーさんとそんな話になって、こんな事を言うと今の人に失礼になってしまうかもしれないけど、僕はもう最初に話をくれたところすることを決めていたんだ。それは僕が自分のヒキに絶対の自信があって、なんだか最初の人が絶対に素敵な人だと思ったんだ。そして最初の出版社の方と逢うことになって、本当に素敵な人達だったから僕は今回の絵本を、僕の何年かをこの人達に預けようと思った。マネージャーさんからすればたくさんの出版社さんから条件を提示してもらってだナンダのビジネス的なかけ引きがしたかったと思うんだけど、僕はそんな事よりも僕のカンの方が正しいと思っているし、事実お逢いした人は本当に素敵な人だったので、マネージャーさんには申し訳ないが、かけ引きはストップしてもらった。絵本制作は第2部に入っていた。

その頃から、よく発狂するようになった。本社の会議室で暴れたり、呑み屋の便所で大声で叫んだり、本当にいろんな人に気を使わせてしまっているのはわかっているんだけど、作業の進みがあまりにも遅い事に耐えられなくなってきてしまって、そして僕の本業はお笑いだから、「なんで絵本で苦しんでんだ」という葛藤で余計に苦しくなってしまって、もうどうしようもない時期がやってきた。つけくわえてM-1に出る事を決めた年でもあったから、M-1で結果を出さないと「いよいよ優先順位が間違ってきてしまうぞ」という重圧もあった。

絵本制作は2008年2月24日現在、第3部の8ページを描き終えたところ。1部につき約18ページあって、つまり今は44ページを描き終えた。あと28ページ。1ページを描くのに今じゃもう60時間はかかる。目標は今年中に仕上げてしまいたいんだけど、もしかしたら年が明けてしまうかも・・でも急いだ結果にクオリティーを下げるのは違うと思うので、質を優先する方向で今後の作業に取り組みたいと思う。皆さんにお見せできるのはまだ先になります。月並みな言葉で申し訳ないですが、一生懸命頑張ります。

そして絵本が完成したら僕は海に行こうと思います。何も考えずプカプカ浮かびたいのです。

2008年2月

Posted by nsnkouron